2008年6月16日月曜日

アメリカ大統領選 1 - なぜアメリカはヒラリー・クリントンを拒否したか

 恐らく、このような結果になることは今年に入った時点で多くの人が予想していたのではないだろうか。2008年6月3日、バラク・オバマ上院議員が民主党大統領候補として早くから取りざたされてきたヒラリー・クリントン上院議員を制して民主党大統領候補者氏名に必要な代議員数を獲得し、アメリカ大統領選民主党候補の指名獲得を確実にした。 このような結果になった理由は、今アメリカがどのような人物をリーダーとして必要としているかを考えればすぐにわかる。

 ジョージ・W・ブッシュ政権が国論を二分して開始したイラク戦争は、ブッシュの当初の目算からは大きく外れ5年以上に長引くことになった。その結果現在のアメリカ国内では共和党支持者と民主党支持者の間で修復困難な亀裂が生じてしまっている。共和党と民主党がいかに内政問題で対立しようとも、外交・安全保障問題に関してだけは両党が超党派的に協力して率直に議論する、というのが本来のアメリカ政治の姿であった。ところが、ブッシュ政権が国論を二分して強引にイラク戦争を開始し、さらにそれが行き詰まりを見せたことによって、この伝統的なスタイルが崩れてしまった。今や共和党支持者と民主党支持者の間には、感情的としか言いようのない対立が生じてしまっている。胸襟を開いた率直な議論こそが民主主義のエッセンスであることを考えると、互いの意見に耳を傾けようともしない現在の状況は、アメリカ政治の深刻な危機である。

 このようなときに必要とされるのは、アメリカをもう一度ひとつにまとめ、本来の姿に戻すことができる人物なのだ。このような素質を、大統領候補に指名されたジョン・マケイン上院議員、バラク・オバマ上院議員は備えている。マケイン氏は共和党内でも一匹狼的な姿勢で知られ、共和党政権であるブッシュ政権に対する最も誠実かつ辛辣な批判者であり、また自分が正しいと思うことのためならば民主党議員と共同で法案を提出することもいとわない。

 また、オバマ氏は大統領予備選挙において、近年の大統領選挙で毎回効果的に多用され、およそ世界のリーダーを選ぶにふさわしくない雰囲気にしてしまっているネガティブ・キャンペーンを一切使わない姿勢を貫いた。彼の選挙チームの一員がクリントン候補を中傷するキャンペーンを張ったところ、彼がその部下を烈火のごとく叱り飛ばしたのは有名だ。また、2004年の大統領選挙では、ジョン・ケリー上院議員を大統領候補に指名した民主党大会において、「リベラルのアメリカも保守のアメリカもなく、ただアメリカ合衆国があるだけだ。ブラックのアメリカもホワイトのアメリカもラティーノのアメリカもアジア人のアメリカもなく、ただ“アメリカ合衆国”があるだけだ。」との基調演説を行い、多くのアメリカ人の共感を得た。ともに、現在のアメリカに必要とされる人物であることがわかるだろう。ロサンジェルス・タイムズが2008年2月1日の時点で共和党候補としてマケイン氏、民主党候補としてオバマ氏の支持を表明したのも、なるほどうなずけるのである。

 これに対して、当初は泡沫候補扱いされながらもまさかの善戦を遂げ、「ハッカビー旋風」などと持ち上げられたマイク・ハッカビー前アーカンソー州知事、すでに2006年の時点から有力候補扱いされてきたヒラリー・クリントンはどうだろうか。ハッカビー候補が善戦を遂げた理由は、妊娠中絶、同性結婚に断固反対し、またダーウィンの進化論をも否定する徹底的なキリスト教保守派的な姿勢が共和党最保守派の支持を得ただけのことだ。また、クリントン候補は、自分と異なる意見の持ち主を歯に衣着せぬ言い方で徹底的に相手をこきおろし、自分が正しいと思うことを強引に進めていくタイプである。そのため、特定の範囲からは熱烈に支持される一方で、「ヒラリーだけは絶対に嫌いだ」という人も大勢おり、ある意味でブッシュと大差ない。要するに二人とも、アメリカをひとつにまとめるどころか現在の対立をいっそう拡大させかねない人物であることがよくわかる。少なくとも、現在のアメリカが必要としている人物ではない。

 ちなみに、私が民主党候補はヒラリー・クリントンではなくバラク・オバマになるだろうと確信したのは、Partner Ship for a Secure America (PSA) の顧問を務めるセオドア・C・ソレンセンが、2007年7月の時点でバラク・オバマ支持を表明したからだ。PSAはアメリカの外交・安全保障に関する超党派組織で、イラク戦争以来失われつつあった、民主党と共和党の連携を取り戻すために2005年に設立された。なお、共同設立者のうちの一方は、イラク戦争に関する超党派評価組織、イラク研究グループ(Iraq Study Group)の共同議長を務めたリー・ハミルトン元下院議員である。PSAのような超党派連携を目指す組織のメンバーが支持したということは、バラク・オバマならアメリカを再びひとつにまとめられる人物であると、外交・安全保障の専門家から期待されていることを意味する。

 また、セオドア・ソレンセンはジョン・F・ケネディの上院議員時代からの側近中の側近であり、彼の実弟ロバート・F・ケネディの大統領予備選挙の選挙参謀として精力的に働いた人物でもある。今のアメリカはベトナム戦争以来の国内分裂の危機に瀕しているとさえいわれるが、今のアメリカには見習うべき過去がある。ちょうど今から40年前の1968年、ベトナム戦争の行き詰まりによって分裂状態に陥ったアメリカを再びひとつにまとめることを掲げて立候補したロバート・ケネディが国民の圧倒的な支持を得た。

 そんなロバート・ケネディの勇気を示すエピソードがある。1968年4月、公民権運動の指導者マーティン・ルーサー・キング牧師が暗殺された日のことだ。彼はインディアナ州インディアナポリスの黒人街で大統領予備選挙の遊説を行うことになっていた。ところが、キング牧師が暗殺されたことで、黒人たちは白人に対する憎しみに煮えたぎっていた。警官や支持者はケネディに演説を中止するよう勧告したが彼はそれを無視し、こう訴えた。
 「今アメリカに必要なのは分裂ではない。今アメリカに必要なのは憎しみではない。今アメリカに必要なのは暴力でも無法状態でもない。今必要なのは愛であり、叡智であり、互いに対する思いやりの気持ちであり、黒人であろうと白人であろうと未だにこの国で苦しんでいる人々に対する正義の感情なのだ。
 だから、私はあなた方にお願いする。今夜はこのまま家に帰り、そしてキング牧師の家族のために祈りをささげてほしい。だがそれ以上に、我々みなが愛する祖国のために祈りをささげてほしい。互いに対する理解と融和のための祈りを…」
 この夜、全米で黒人による暴動の嵐が巻き起こる中、インディアナポリスだけは平静を保った。
 
 彼は民主党候補指名獲得を目前にして兄と同じく凶弾に倒れることになったのだが、もし暗殺されなければ本選挙でも圧倒的勝利は確実だろうといわれていた。バラク・オバマ支持を表明したPSAのセオドア・ソレンセンはそのようなロバート・ケネディを直近で見ていた人物だ。

 ソレンセンだけはない。特に注目に値したのはケネディ家のオバマ支持への動きだった。筆頭はケネディ兄弟の末弟で民主党リベラル派の重鎮エドワード・ケネディ上院議員、そしてケネディの実の娘であるキャロライン・ケネディ、カリフォルニア州知事アーノルド・シュワルツェネッガーの妻であるマリア・シュライバー(ケネディ兄弟の姪にあたる)らである。ケネディ兄弟の精神をよく知る彼らがバラク・オバマ支持へ動いたのは、彼にケネディ兄弟に似た資質を感じたからにほかならない。

 なお、ケネディ家のオバマ支持への動きの直接のきっかけとなったのは、予備選挙中にヒラリー・クリントンが夫のビル・クリントン元大統領とともにバラク・オバマに対する強烈な中傷・批判を行ったことだった。今回の結果は、それが裏目に出たといえるだろう。

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