2008年12月2日火曜日

トヨタの未来は…

11月6日、トヨタ自動車は2009年3月期連結決算の業績予想を下方修正した。営業利益は前期比73.6%減という大幅な減収減益である。その結果、翌日の東京株価市場では日経平均株価が一時、前日比633円安となるほど大幅に続落し、この現象は「トヨタショック」と呼ばれた。

このトヨタの業績予想の下方修正の背景には、米国発の金融危機による世界的なドル安、ユーロ安による為替差損のほかに、北米市場の低迷がある。実際、国内の自動車需要が伸び悩む中でトヨタがこれまで好調な成績を挙げてこられたのは、現地生産など積極的にグローバル展開を進めて開拓してきた北米市場での売り上げが好調だったからだ。トヨタは現在、自動車ローンの金利をゼロする、低価格の超小型車iQを開発するなど、自動車需要の底上げに力を入れているが、これらは利益率が小さいので大幅な回復は難しい。

そこで今トヨタが取り組んでいるのが、2004年から開始した「革新的国際多目的車(IMV)」と呼ばれるプロジェクトだ。これは、複数の海外拠点が相互に部品や完成車の供給を相互に行う戦略であるため、利益が各国の需要や為替変動に左右されない性質を持つ。これは、自動車需要が今後も成長を続けると思われる新興国向けの戦略だ。

また、自動車需要の成長期が終わった先進国向けには「プラグイン・ハイブリッド車(PHV)」がある。これは家庭用電源で充電できるもので、2009年末の実用化を目指している。これで、燃費の悪い既存のガソリン車・ディーゼル車からの買い替えを促す狙いだ。

しかし、それでも自動車市場はすでに成長期を終えて安定期に入りつつある。今後もさらに成長を続けるためには、トヨタは自動車中心の戦略から大幅に転換しなければならなくなるだろう。果たしてトヨタにその準備はあるのか。

答えは、「イエス」だ。まず一つ目として、トヨタは今後航空産業に参入する可能性がある。その布石が、三菱重工業が立ち上げた国産旅客機プロジェクト「三菱リージョナルジェット(MRJ)」への出資である。そもそもトヨタ自動車も、その発足期においては航空機産業にも手を出すつもりだった。しかし、第二次世界大戦で軍用トラックの生産という国の方針が優先されたため、しばらくは航空機開発は中止された。その後、戦後の不況の影響でトヨタが倒産寸前の危機に陥っているうちに、航空機開発への夢は忘れ去られてしまった。MRJへの出資は、創業期の夢への第一歩となるかもしれない。

航空産業は、これまでのところは国際テロリズムや原油高、金融恐慌の影響で伸び悩んでいたが、これは一時的な現象に過ぎない。なぜなら、今後さらにグローバリゼーションが進展し、人、モノ、情報、金の交流がさらに活発化するというのが歴史的な流れだからだ。2005年にトヨタが筆頭株主となった富士重工業は航空宇宙部門を持っているため、もし今後トヨタが航空産業に参入するときにはこのつながりが大きなアセットとなるだろう。

もうひとつ、トヨタが進むべき道としては、経営コンサルタンティング事業が考えられる。「トヨタ生産方式」を学ぶために社員をトヨタ工場に派遣する企業は日本には数多いが、ついにその傾向は世界に広がった。航空機産業の巨人ボーイングが、現在開発中の新型機ボーイング787の開発のために社員をトヨタに派遣し研修させたのだ。その結果、ボーイングはこれまでは下請け会社に細かい指示を出して部品を製造させていたが、787の開発ではパートナー企業に各部品の設計まで任せ、自らは核となる技術のみに専念し、あとは全体をとりまとめるインテグレーターとしての役割を果たす。これによってコストと期間を大幅に縮小でき、また他社製品との差別化のために必要なキーとなる部分を大幅に伸ばすことができる。ボーイングがトヨタから学んだトヨタ生産方式の主要なキーワードである「ジャスト・イン・タイム」、「改善」、「かんばん方式」などは、そのまま「Just in Time」、「Kaizen」、「Kanban」という国際標準の英語になっている。

トヨタ生産方式はメーカー企業だけでなく、非製造業にも適用されている。高度成長期を終えて成熟期に入った国がさらなる成長を続けるためには、脱工業化が欠かせない。それが先進国の宿命である。モノ作り大国といわれた日本といえども例外ではない。しかし、今後日本で脱工業化が進展しても、トヨタは「トヨタ生産方式」を伝授するコンサルタントとして生き残れるだろう。

2008年11月20日木曜日

今年は寒冷化トレンドか

11月19日、日本列島各地で初霜や初雪が観測された。北海道など高緯度地域や山頂などの高地では、今年の初雪が平年より遅いところも多いようだが、中緯度地域の平地では広い範囲で平年より早い初霜・初雪となった。日本国内の中緯度地域の平地では、近年で11月に降雪を観測することはほとんどなかった。このような傾向は日本だけのことではなく、今年は世界でも軒並み寒くなるのが早いようだ。イギリスのロンドンでは、実に1934年以来74年ぶりに、10月の積雪を観測したという。なぜ今年はこのように広い範囲で寒冷化するのが早いのだろうか。

それは今年の春から夏にかけて曇りや雨の日が多かったため、本来大気が暖められるべき時期に十分熱が蓄えられなかったためだと思われる。では、なぜ今年の春から夏にかけて雲が多く発生したのか。実は、昨年から今年にかけて太陽の黒点数が極小期に入っている。そしてこの黒点数は、太陽の活動の強さを表している。太陽表面からは太陽風と呼ばれる、高速の荷電粒子の流れが噴き出されているが、太陽の活動が弱くなると太陽風も弱くなる。そして、その太陽風は太陽系外からやってくる宇宙線を押し返す働きをするのだ。そのため、太陽活動が弱まると地球はより多くの宇宙線に曝されることになる。

そして、この宇宙線もまた高速の荷電粒子の流れである。宇宙線が大気中に入射すると、その電離作用によって大気原子がイオン化される。これが凝結核となり、より多くの雲が発生すると考えられているのだ。つまり、太陽活動が弱くなると、宇宙線を押し返すはたらきをする太陽風が弱くなり、その結果地球はより多くの宇宙線に曝されることになり、結果として雲が多く発生すると考えられているのだ。これは考案者のデンマークの科学者の名前を取って、スヴェンスマルク効果と呼ばれる。

ここでひとつ疑問が残る。太陽風も宇宙線も同じ荷電粒子の流れであるにもかかわらず、なぜ宇宙線の方が雲の発生に大きく寄与するのか、という問題である。それは、宇宙の彼方からやってくるほどのエネルギーを持つ宇宙線の方が、ひとつひとつの粒子の持つエネルギーが高い、ということで説明できる。つまり、量子力学における光電効果と同じで、いくら荷電粒子の数が多くてもひとつひとつの粒子のエネルギーが十分高くなければ雲の生成反応は起こりにくいと考えられるのだ。荷電粒子による大気原子の電離反応は、荷電粒子と大気原子との一対一の反応であると考えられるので、この考えは十分妥当であると私は考える。

したがって、太陽活動が極小期に入っている今は、寒冷化していて当然な時期なのだ。去年は各地で猛暑や暖冬などが観測されたが、これはラ・ニーニャ現象による一時的な現象だったのかもしれない。だとすれば、地球はこのまま寒冷化に向かってもおかしくはない。もちろん、今年の寒波も一時的な現象という可能性も十分にありうる。

このように、地球の気候には様々な要因が複雑に絡み合っているので、気候変動を考えるときにはこのような要因すべてを考慮に入れる必要がある。

2008年11月17日月曜日

アメリカは過去の大帝国と同じ轍を踏むのか

 前回の記事で、私はオバマ当選の陰でアメリカ内部に深刻な危機が潜んでいることを指摘した。その危機とは、ブッシュ政権下で表面化した保守強硬派の台頭である。彼らは現実の問題に対して理性的に対応することよりも、自分自身の価値観を盲信することを選択している。そのため、異なる意見の持ち主との対話を持とうという姿勢は見られない。これはアメリカ政治の理念であるはずの民主主義が相当深刻な危機に陥っていることを意味している。なぜなら民主主義のエッセンスとは単なる多数決ではなく、異なる意見の持ち主同士の率直な対話を通して意思決定を行うことだからである。オバマはアメリカをひとつにまとめることを訴えてアメリカ国民の大半の支持を得ることができたが、一部の保守強硬派は初の黒人大統領の誕生によって一層強硬になり、深刻な対立が生まれる可能性も無視できない。

 第二次世界大戦以後の60年余りにわたって、アメリカは世界のトップとして君臨してきた。しかし、ローマ帝国、オスマン帝国、大英帝国といった過去の大帝国はいずれも最後には衰退していった。アメリカもこれらの過去の大帝国と同じ轍を踏んでしまうのだろうか。実際、そのような兆候はすでに見え始めているようにみえる。

 その原因はやはりイラク戦争である。ブッシュ政権が国論を二分したままイラク戦争を決断してしまったことによって、アメリカ国内の賛成派と反対派との対立は深刻なものとなり、両者の間の溝は大きく広がった。その結果、両者とも互いの意見を聴こうという姿勢を持たなくなり、両者の間の対話は失われてしまった。すなわち、民主主義の危機である。また、そのようにして始まったイラク戦争が泥沼にはまったことによって、アメリカの国際的な威信も大いに傷つけられた。現在、アメリカに信頼を置いている国はほとんどないだろう。さらにサブプライム問題に端を発する景気後退は、今年9月のリーマン・ショックによって世界的な金融恐慌へと拡大した。アメリカが衰退に向かっているというのは確実なことのように思える。

 だが、アメリカという国は決して侮れない。過去にもアメリカが現在のような危機に陥ったことは何度もあった。だがその度に、リンカーン、ルーズヴェルト、ケネディ、レーガンのようなリーダーが現れてそれを克服してきたのだ。国が危機に陥ったとき、必ずそのような状況を克服できる強力なリーダーが現れる。それが、アメリカという国の凄さなのだ。
 
 なぜそのようなことが可能なのだろうか。アメリカと、その他の過去の覇権国家との違いは、アメリカは超大国となった国の中で唯一、民族ではなく理念を基に作られた理念国家だということである。民族にはこだわらず、世界中の人々を惹きつける人類に普遍的な理念を基にした国家だから、アメリカには多様な才能が集まった。だからアメリカは、超大国としての地位によって傲慢と自己満足に陥ったときも、やがてはそれを正す自浄作用が働き、超大国としての地位を維持し続けることができる。

 さらに言えば、アメリカは今までのなかで唯一、崩壊したことのない理念国家でもある。過去にもソ連やユーゴスラビアなど、民族ではなく理念を基に作られた国家はあったが、それらは100年も続くことなく崩壊した。それだけ理念先行の国家を作るのは現実には難しいのである。それをアメリカはオープンさと、そこから生まれるダイナミズムによって克服したのである。そこがソ連やユーゴスラビアなどとの違いなのだ。

 今回の大統領選挙でも、今アメリカが陥っている危機を克服しようという強力なリーダーが現れた。それは、今回の選挙の投票率が64.1%という戦後最高の数値を示したことからもわかる。ちなみに、これまでの戦後最高の数値は1960年の大統領選のものであり、この選挙でもケネディという強力なリーダーが誕生したのだ。実際、この高い投票率が示すとおり、今回の大統領選挙は例年にない盛り上がりを見せた。それは、大統領選に勝利したオバマの訴える変革に対する期待のためだけではなく、対立候補のマケインも大統領にふさわしい見事な人物だったからでもある。実際、マケインの潔い敗北宣言は、これからのアメリカの前向きな変化を思わせるに十分なものだった。黒人大統領誕生によって、仮に今後アメリカ国内に混乱が起きたとしても、それもいずれ避けて通れない道である。その困難をアメリカは確実に乗り越えるだろうと感じさせるに十分なほど、オバマとマケインの戦いはすばらしいものだった。

 だが、オバマ登場による不安は他にもある。ひとつめは、オバマが伝統的な民主党の価値観にしたがって保護主義に戻ることだ。経済のグローバル化は、今や先進国にとっても途上国にとっても彼らの成長にとって必須のものになっている。先進国は発展する市場を必要としている。途上国にとっては経済成長のための技術移転と製品の輸出先が不可欠だ。もしオバマが保護主義に走るようなことになったらアメリカの国際競争力は一気に低下し、その影響はブーメランのようにアメリカの国内経済に跳ね返ってくるだろう。さらに、経済のブロック化に走ったことが第二次世界大戦につながったという歴史も忘れることはできない。

 もうひとつの心配は、アメリカと敵対する国々から経験の浅い新大統領が甘く見られ、さらにアメリカの威信が低下することである。アメリカが現在国際協調路線に戻る必要があるのは明らかであり、オバマ次期大統領もその方向で今後のアメリカ外交を進めるものと思われる。だが、その国際協調の目的は、あくまでもアメリカに対する世界の信頼を取り戻すという、アメリカの国益追求のためでなければならない。もしこの国益追求という目的を忘れて一方的な譲歩を行えば、イラン、北朝鮮など国際問題を抱えており、かつアメリカと敵対している国々の勢いを増長させかねない。そうなれば国際秩序が崩壊し、アメリカに対する信頼はさらに低下するだろう。外交、安全保障、軍事に強いマケインと同じ能力をオバマが有しているかどうかは未知数である。そのマケインは敗北宣言において、「私は彼(オバマ)が国を率いるのを支えるだろう。」と語った。マケインは今後、新大統領の最も真摯な批判者かつ協力者となるだろう。

2008年11月16日日曜日

アメリカ大統領選 4 - マケインの敗因に見るアメリカの問題点

米国東部時間の11月4日、長かった戦いについに終止符が打たれた。アメリカ合衆国大統領選挙で、民主党候補のバラク・オバマ上院議員が、共和党候補のジョン・マケイン上院議員を圧倒し、第44代次期合衆国大統領に選出された。私は前回の記事でジョン・マケインの勝利を予測したが、それを見事に覆す結果となった。今回は、なぜマケインが敗北したかの原因を明らかにしたい。それが間違った予測を出した者の責任であるだけでなく、それによって現在アメリカが抱えている問題点も浮かび上がってくるからだ。

マケインが敗北した最大の原因は、彼が共和党内をまとめることに失敗したからだ。それを最も象徴的に表したのが、第1期ブッシュ政権の国務長官を務めた共和党員のコリン・パウエルによるオバマ支持表明である。これに対してオバマ陣営は、民主党予備選挙が6月まで長引いたために党内対立が深まっていたにもかかわらず、本選挙前の10月までには党内のとりまとめに成功していた。

なぜマケインは共和党内のとりまとめに失敗したのか。それは、選挙中の彼の演説に集まった聴衆の姿を見ればわかる。

もともとマケインは共和党内の中ではかなりリベラルに近い立場の人物であり、そのため中道・現実派層を中心に幅広い支持が期待されていたはずだった。だが、それでは前大統領ブッシュの当選に際して大きな影響力を発揮した保守強硬派の支持は得られない。そのためマケインは副大統領候補として保守派のサラ・ペイリン・アラスカ州知事を選んだ。それによって確かに保守強硬派の支持は上がった。事実、サラ・ペイリンの起用直後、マケインはそれまで負けていた世論調査の支持率でオバマを逆転し引き離すことに成功した。私はこれによってマケイン勝利の可能性が大きくなったとみたが、どうやらこれは大きな誤算だったようだ。

マケインの集会に集まった聴衆の中には、「オバマを殺せ!」などと叫ぶ連中すらいたという。たまらずマケインが彼らをなだめにかかると、今度はマケインに対してブーイングが飛ぶ始末だった。このような
過激な支持者らの姿を見て危機感を感じたのだろう、リベラル・中道層はマケイン支持から離れていった。こうしてマケイン本来の強みであったリベラル層からの支持をマケインは失ってしまった。

この例はあくまでも極端なものだが、もっと穏やかなものでも共和党の保守層の融通のなさを示す例がある。それが9月に起きたリーマン・ブラザーズ破綻をきっかけに急速に加速した金融危機だ。ブッシュ政権はこの危機にただちに対応し、不良債権の買取のため最大約7000億ドルの公的資金投入を定めた緊急安定化法案を提出したが、下院によって否決された。(後に修正を加えた後に議会の承認を得て、成立した)このときの反対票の多くは、共和党員によるものだった。なぜなら、市場への公的資金投入は、小さな政府を標榜する共和党の伝統的価値観にそぐわなかったからである。彼らは柔軟な対応をとって現実の問題を解決することよりも、原理原則を守ることに固執したのだ。マケインは金融安定化法案成立のために奔走したが、結局自らの足元を固めることができなかった。

このように現在の共和党保守層には、現実的な政策よりもイデオロギー的、空想論的なスローガンにこだわる勢力が増えている。そしてそのような態度が、ブッシュ政権をイラク戦争へと突き進ませた要因でもあった。イラク戦争を主導したネオコンは、国益のための現実的外交よりも、他国に民主主義を広めるという無謀で独善的な理想を優先させたためにイラクで過ちを犯したのだ。また、聖書の記述に反する進化論や地質学を否定し、教育現場では神による創造論を教えるべきだと主張するキリスト教右派も、共和党の大きな支持層となっている。マケインは彼らを説得して党内をまとめることができなかった。

マケインと立場的には近いはずのコリン・パウエルが、あえて民主党候補のオバマ支持を表明したのは、このような共和党内のキリスト教右派など原理主義的な勢力の台頭を警戒したためだと思われる。

また、10月末にはオバマ暗殺を計画していた人種差別主義者が摘発されるという事件も起きた。史上3番目に若く、初の黒人大統領候補であるバラク・オバマの当選にアメリカ中が沸き立つ中で、アメリカの未来に暗雲が立ち込めているのを感じざるを得ない。

2008年10月30日木曜日

アメリカ大統領選 3 - 最終段階 ~ 勝つのはどちらか

11月4日に行われる2008年アメリカ大統領選挙まで、ついにあと一週間を切った。6月16日付記事「アメリカ大統領選 1 - なぜアメリカはヒラリー・クリントンを拒否したか」において、今アメリカに必要とされる大統領は、分裂状態に陥ったアメリカを再びまとめることのできる人物である、と私は指摘した。また、共和党、民主党それぞれの大統領候補に指名されたジョン・マケイン上院議員、バラク・オバマ上院議員はどちらもその資質を備えているということも指摘した。前回の2004年の選挙は二流同士の戦いの様相を呈していただけに、今回の選挙は熱い盛り上がりを見せた。

では、果たして今回の選挙戦を制して次期アメリカ合衆国大統領の座を射止めるのは、どちらになるだろうか。その答えを出す前に、まず大統領候補のパートナーとなる副大統領候補についてみてみよう。

まず、8月25日から28日にかけて行われた民主党大会で民主党大統領候補に指名されたバラク・オバマ氏は、上院司法委員長、外交委員長を歴任したジョセフ・バイデン上院議員を副大統領候補に指名、次いで9月1日から4日にかけて行われた共和党大会で共和党大統領候補に指名されたジョン・マケイン氏は、史上最年少かつ初の女性アラスカ州知事を務めるサラ・ペイリン氏を副大統領候補に指名した。彼らがそれぞれの副大統領候補として白羽の矢を立てられた理由は明白だ。

オバマ氏は、その若々しさに裏打ちされた巧みな演説によって、既成体制を打破する変革の象徴となる一方で、2004年に合衆国上院議員に選出されたばかりという経験の浅さが懸念されていた。一方で、彼のパートナーとなるバイデン氏は、1973年以来上院議員を務め続け、上院外交委員会委員長という要職をこなした民主党中道派を代表する大物議員だ。

また、マケイン氏は1987年以来の豊富かつ超党派的な議員活動により、保守派だけでなくリベラル側からの支持も強いが、本来の共和党支持層であるはずの保守強硬派からの人気は低く、また現時点で72歳という高齢も懸念されている。一方で副大統領候補のペイリン氏は、マケイン氏より保守的であると同時に、オバマ氏よりさらに若く、史上二番目の女性副大統領候補という新鮮味を兼ね備えている。

一言でいえば、マケイン、オバマ両氏とも、アメリカを再びひとつにまとめるという資質を備えているものの、マケイン氏は新鮮さ、オバマ氏は経験に欠けていた。それをそれぞれの副大統領候補が見事に埋め合わせた形だ。だが逆に、それぞれの副大統領候補がマケイン、オバマ両氏の長所を損ねてしまっているという見方もある。たとえば、民主党副大統領候補のバイデン氏はあまりにも長年に渡る議員経歴から、逆にオバマ陣営の新鮮さを失わせてしまっているという見方がある。特に、オバマ氏は当初から一貫してイラク戦争に反対していたのに対して、バイデン氏はイラクへの武力行使を認める2002年に行われた決議に賛成票を投じてしまったことはオバマ陣営にとって大きな痛手だ。また、それまで中央政界に縁がなかったペイリン氏を副大統領候補に指名したのは、彼女が若く、女性であることを利用したただのイメージ戦略ではないかという批判もある。

だが実は、ペイリン氏にはほかの3人にはない最大の強みがある。それは州知事という実際の行政経験だ。アメリカ合衆国の州は強大な自治権を持っている。州ごとにそれぞれ独自の憲法を持っており、基本的に国防と外交を除いた全ての国家機能がある。州知事は独立国のリーダーに匹敵する権限を持っているのだ。そのため歴史的に見ても、上院議員から大統領になるケースよりも州知事から大統領になるケースのほうが圧倒的に多い。 外交・安全保障に関する造詣の深いマケイン氏と、州知事職による内政経験のあるペイリン氏で理想的なペアとなるだろう。また、女性でありかつ保守的なペイリン氏は、本来共和党の支持層であるにも関わらず、リベラル寄りのマケイン氏には不信感をもつ保守層や、オバマ氏に敗退したヒラリー・クリントン氏の支持層を取り込む受け皿になるだろう。 特に、内陸部の保守層の存在が選挙結果に与える影響は決して無視できない。ペイリン氏の登場によってマケイン陣営は彼らの票を大きく取り込むことができるだろう。

結論を言うと、オバマ陣営の支持層はバイデン氏の登場によっても大した変化はないが、マケイン陣営の支持層はペイリン氏の登場によって大きく広がった。

だが、やはりマケイン陣営の最大の強みは、マケインの党派にとらわれない一匹狼的な議員経歴だろう。共和党の重鎮であるにもかかわらず、2004年の大統領選挙ではジョン・ケリー候補の副大統領候補となるのではないかと囁かれたほどだ。その理由は彼の議会活動を見れば明白だ。民主党の大物議員ジョセフ・リーバーマンとの共同で9・11調査委員会の設立、2002年には民主党のラッセル・ファインゴールド議員との共同で大企業による献金を制限する法律を成立、2005年には民主党リベラルの重鎮エドワード・ケネディ上院議員と共同で違法入国移民の永住を認める法案を提案するなど、民主党大物議員との共同活動が実に豊富だ。特にエドワード・ケネディ氏は、予備選段階からバラク・オバマ支持を表明していた人物である。さらに、ブッシュ政権に対する最も真摯な批判者の一人でもある。マケイン氏は、「アメリカをひとつにまとめる」ことを実際の行動で示してきた。

一方、変革と国内の融和を唱える巧みな演説で絶大な人気を誇るオバマ氏は、ペイリン氏のことを「口紅をつけても豚は豚」と発言するなど、ついに自分自身で禁止していた中傷キャンペーンを実行に移してしまった。さらに彼は、2004年以来の上院議員経験のうち半分は大統領選に費やしており、また一度も自らの手で法案を提出したことがない。オバマ氏はケネディの再来とさえ言われているが、上院、下院含めて14年の経験があり、特に労働組合と組織犯罪とのつながりを暴いた上院マクレラン委員会での活発な活動経験があったジョン・F・ケネディとは比較にならない。

10月19日、共和党員で前国務長官のコリン・パウエル氏がオバマ支持を表明した。パウエル氏はロナルド・レーガン政権時代から共和党政権で要職を務めており、またマケイン氏と同じベトナム帰還兵である。1996年の大統領選では、大統領選出馬の可能性も取りざたされ、もし立候補すれば確実に大統領になるだろうとさえ言われていた。それだけにパウエル氏のオバマ支持表明は大きな影響を持つだろう。

だが私は、パウエル氏の外交姿勢はむしろマケイン氏に近いものだと考える。パウエル氏はブッシュ父政権の下で、統合参謀本部議長として湾岸戦争を指揮した。同じ名前の「ブッシュ」政権のもとで行われた戦争だったが、湾岸戦争はイラク戦争とは根本的に異なり、湾岸戦争はいわゆる中道現実派が遂行した。したがって湾岸戦争を主導したのは、イラク戦争を主導したネオコンのような、思い込みの強い強硬派ではなかった。実は、現ブッシュ政権のイラク政策に対する最も真摯な批判者は民主党のリベラル勢力ではなく、湾岸戦争を主導したブッシュ父政権の中道現実派だった。その代表が、イラクからの現実的な撤退案を提案したイラク研究グループの共同議長を務めたジェイムズ・ベーカー氏(湾岸戦争当時の国務長官)、ブレント・スコウクロフト氏(湾岸戦争当時の国家安全保障担当補佐官)、現国防長官のロバート・ゲイツ氏(湾岸戦争当時のCIA長官)らである。コリン・パウエル氏もこの中に含まれる。

実はマケイン氏もこのグループに近い立場にある。特にブレント・スコウクロフト元国家安全保障担当補佐官とは近い関係にあり、また2006年には、ブッシュ政権の提唱する対テロリスト特別軍事法廷設置法案に反対する法案をパウエル氏とともに提出している。マケイン氏が通常時の議員活動中から唱えてきたイラク政策の目標は、イラクを安定化させつつ撤退することであり、これはイラク戦争に反対したブッシュ父政権の側近グループが中心となったイラク研究グループの提案に沿うものである。

誤解されがちだが、イラク問題に関するマケイン氏の立場は決してブッシュ支持一辺倒ではない。マケイン氏がイラク増派を主張したり、駐留期限の設定に反対したりするのは、撤退自体に反対しているためではなく、米軍が撤退できる状態をつくるためにはそうするほかはないという現実的な判断だ。マケイン氏の目標は、断じてブッシュ大統領やネオコンの掲げる「イラクの民主化」などという非現実的なものではない。

ブッシュ大統領の主張するように「イラクの民主化」などを実現しようとすれば、いつまでも米軍はイラクから撤退できず、泥沼にはまり込むだろう。しかし、もしイラクから即時撤退などすれば、イラク情勢は大混乱に陥る。イラクを混乱に陥れることなく撤退するには、中道・現実的な政策が要求され、そのためには外交・安全保障政策に対する深い造詣が不可欠だ。つまり、イラク戦争を主導したネオコンのような「思い込み」の激しい硬直的な強硬派も、反戦主義的な思い込みの激しい左派にも、今後の外交政策を担う素質はない。

私は今アメリカに必要とされる大統領は、1. アメリカを再びひとつにまとめられる人物である、と指摘したが、今ここでもうひとつ必要とされる資質を挙げたい。それは2. イラク戦争の失敗で失墜したアメリカの国際的信頼を取り戻すことのできる力だ。マケイン氏もオバマ氏も第一の素質を備えていることは既に述べた。では第二の資質はどうか。アメリカの国際的信頼を取り戻すには、イラクを安定化させつつ撤退させることが不可欠だ。オバマ氏も外交に関して現実的な判断ができる人物だが、やはりこの点ではマケインに軍配が上がると言わざるを得ない。

以上のことより、私はジョン・マケインが次期アメリカ合衆国大統領に選出されるだろうと考える。

2008年6月26日木曜日

洞爺湖サミットへ向けて - 性急な対応は避けるべき

 第34回主要国首脳会議(北海道洞爺湖サミット)の開催まで、あと2週間を切った。今回のサミットは「環境サミット」ともよばれており、環境問題、特に地球温暖化問題に焦点が当てられる見通しだ。議長国である日本の福田政権は、この問題に対して世界をリードして取り組むことを目指している。

 地球温暖化に関しては、二酸化炭素の排出量増大がその主要原因であるとする説が、すでに科学界のコンセンサスとなっているかのような報道がなされている。だが、そのようなコンセンサスが存在するというのは事実ではない。今年5月25日から同月30日にかけて千葉市で開催された日本地球惑星科学連合大会では、その6日間の日程のうち計3日間にわたって「地球温暖化の真相」というセッションが開かれた。筆者もこのセッションに参加したが、人為的地球温暖化説に異論を唱える研究発表が次々と行われていた。それとは別に「世界の気候変動と21世紀の国策」という特別シンポジウムも開かれた。このシンポジウムでは科学者だけではなく、政治家やジャーナリストも招かれたが、やはり巷でよくいわれるような人為的温暖化説一辺倒などではなかった。この大会には報道機関からの取材も来ていたが、このような二酸化炭素犯人説に異を唱える研究や研究者の存在は全く報道されていない。

 7月7日から同月9日にかけて行われる洞爺湖サミットに向けて、福田首相は6月9日、2050年までに温室効果ガス排出量を2050年までに60~80%削減するという「福田ビジョン」を発表した。だが、このような温室効果ガス削減、特にCO2削減に向けての取り組みが正当化されるには、「近年の温暖化傾向とCO2排出量との間の因果関係が明白である」こと、「温暖化に伴うリスクが温室効果ガス削減によるコストやリスクを上回る」という2つの条件がともに満たされなければならない。なぜなら、もし温室効果ガス削減に伴うリスクが大きかった場合、性急な対応をした後で「実は温暖化はCO2のせいではなかった」「実は温暖化はそれほど危険ではなかった」では取り返しがつかないからだ。後述するように、筆者は温室効果ガス削減に伴うリスクは非常に大きいと考えている。そのため、これら2つの条件についてはしっかり検証する必要があると考える。

 まず、第1の条件、「近年の温暖化傾向とCO2排出量との間に明白な因果関係があるかどうか」について検証してみよう。昨年2007年に、アル・ゴア元米国副大統領とともにノーベル平和賞受賞対象となった、国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)によれば、すでにこの問題には結論は出ている。近年の温暖化傾向はほぼ確実に人類の化石燃料の使用がその主因である、というのがIPCCの主張だ。だがこれに対しては異論も多い。

 CO2が温室効果を持つことは確実である。これはCO2分子が赤外線のエネルギーを吸収し、熱運動に変換するためだ。だがこのCO2による温室効果が現代の地球温暖化にどれほど影響を与えているかはわからない。IPCCの主張の根拠となっているのは、スーパーコンピュータを使った気候モデルの計算結果であるが、現段階ではモデルに組み込まれている数々のパラメータ(気候変動の要因)の値を動かして無理矢理過去の気温データに合わせている、というのが現状だ。

 CO2犯人説では過去の気温変動を全く説明できない。氷床コア、海底堆積物、年輪データなど様々な物理的証拠や世界史の記録には、人類が本格的にCO2を排出する19世紀以前から地球の気温は常に変化してきたことが記されている。特に、紀元前200年~紀元600年のローマ温暖期、900年~1300年の中世温暖期は現在よりも温暖であり、また1300年~1850年の小氷河期は非常に寒冷な時期であったことがわかっている。これらの結果は全て地球の全地域から得られた証拠に基づいているが、IPCCはこれらの気候変動は北半球のみの局所的な現象だったとしている。また、CO2犯人説では1940年代から1970年にかけての寒冷化現象も説明できない。もしCO2が温暖化の主要な原因であるならば、人類によるCO2排出が急激に増加したこの時期に急激な温暖化が起きていなければならないはずだ。特に、人為的なCO2排出量の8割は1950年代以降のものであるにも関わらず、19世紀後半から20世紀前半にかけて急激な温暖化が起きたことも説明できない。

 また、IPCCで用いられている現在の温暖化傾向は、過大に見積もられている可能性がある。1979年に人工衛星による気温観測が始まって以降のデータによると、1979年から2001年の間で、地表温度計による世界平均気温上昇は10年あたり0.15±0.05℃であるのに対し、人工衛星とラジオゾンデによる高さ8kmまでの対流圏の世界平均気温の上昇は、10年あたり0.05±0.10℃であった。この違いは、ヒートアイランドの効果によるものと思われる。ヒートアイランドとは人間活動による土地利用の変化により、地面が吸収する熱量が増えてしまい気温が上昇する現象である。地上温度計ではどうしても人が住んでいる地域での測定となってしまうため、この影響を受けざるを得ない。逆に、人工衛星による観測はほぼ全球を網羅している。つまり、大気気温の上昇傾向は3倍近く大きく見積もられているかもしれない。このヒートアイランドによる上昇分を補正すると、20世紀中の気温上昇はIPCCの主張するの0.6℃から0.2-0.4℃程度になる。この程度の温度上昇ならば、過去の気候変動と比べても全く自然な変動である。

 次に、CO2削減努力を正当化するための第2の条件、「温暖化に伴うリスクが温室効果ガス削減によるコストやリスクを上回るかどうか」について検証してみよう。まず、温暖化によるリスクがよくいわれているような破滅的なものかどうかについて検証する。

 IPCC第4次評価報告書によると、2100年までに地球の平均気温の温度上昇は最大で6.4℃にもなるという。だが、これはヒートアイランドの効果も含められた20世紀のデータに合うように組まれたコンピュータ・モデルによる結果だ。人工衛星による観測によれば、1979年以降、地上10km以下の対流圏における大気気温は強い温暖化傾向を示してはいない。また、実際に過去のデータを見る限り、一方的な温暖化傾向が100年も続くことはない。小氷期が終わり、現代温暖期が始まったのは1850年代のことだが、それから現在までの気温上昇は決して一様ではない。1860~1880年にかけて気温は上昇したが、それから1910年にかけて再び寒冷化した。そして1920~1940年にかけて急激に温暖化し、1940~1975年にかけては再び寒冷化、1979年から現在にかけて再び温暖化している。そしてエルニーニョ現象による異常気象が起きた1998年で一旦頂点に達して以降は、事実上温暖化はストップし、地球気温は寒冷化もしくは横ばいである。このように実際の温度変化は温暖化と寒冷化の繰り返しであるため、21世紀の終わりまでに一方的に気温が上昇し続けることは考えられない。したがって、今世紀終わりまでに6℃もの気温上昇が起こるということは、まず考えられない。

 温暖化によるリスクといえば、よく取り上げられるのがホッキョクグマやペンギンだ。彼らは温暖化によって絶滅に瀕するとされる生物種のシンボルとなっている。ところで、現在の生物種のほぼ全ては、少なくとも100万年前から生息している。つまり、現在の生物種はホッキョクグマやペンギンも含めて、100万年前から現在までに起こった気候変動を全て生き抜いていることになる。特に7000~5000年前の完新世気候最適期には、北極付近では現在よりも4℃ほど高かったといわれる。この温度変化は極地に行くほど大きかったため、低緯度地域では温度変化はあまりなかったが、世界平均でも現在より2℃ほど高かったようだ。確かに20世紀以降、絶滅に瀕する生物種は増えている。だがそれは人類による乱獲や、開発による生息地の現象によるものであり、温暖化によって絶滅したという生物種は報告されていない。

 温暖化により、異常気象が増えるという主張もある。だが、過去の歴史的文献によると、寒冷期にも温暖期にも干ばつや豪雨、熱波や寒波といった異常気象は同程度に起こるようだ。気温が上がれば、降水量の穏やかな上昇は考えられる。だが、豪雨や干ばつといった突発的な異常気象と温暖化については、何の因果関係も明らかにされていない。現に、1900年から2000年にかけて気温が上昇したにも関わらず、暴風雨活動の頻度に、長期的な増加傾向は認められない。近年の夏場の猛暑や暖冬は、ヒートアイランドによるものと考えられる。

 また、熱帯地域の温暖化がこれ以上に進むとも考えられない。それは、過去の温暖期においても、極地の温度は大きく上昇したものの、低緯度地域における温度変化は少なかったことからわかる。この原因は、最近の人工衛星を使った研究から明らかになった。熱帯太平洋では、海面温度が上がると湿度が上がり、雲の形成プロセスが促進され、結果として太陽光を宇宙空間に反射する低い雲が多くなり、逆に熱を大気中に閉じ込める高い雲が減る。つまり、熱帯太平洋上に巨大な放熱口が存在しているのだ。そのため、温暖化が起きてもその影響は赤道に近づくほど小さくなる。

 温暖化によるリスクについて最も大きく喧伝されているのは海面上昇だ。IPCCは、2007年の第4次評価報告書において2100年までの海面上昇は18~59cmになるだろうと予測している。実は、IPCCは1990年には30~100cm、2001年には9~88cmと予測していたため、報告を重ねるにつれて予測値がどんどん減少しているのだが、国際第四紀学連合(INQUA)海面変動沿岸変化委員会の専門家によると18~59cmでさえまだ過大に見積もりすぎで、実際には10cm±10cmだとしている。

 では、よくマスメディアで報道されるツバルやヴェネチアの水没の危機は何なのだろうか。実は、これらの原因は海面上昇ではない。もし仮に海面上昇が起きているのならば、その影響はあらゆる地域に及ぶはずであり、これらの地域だけが水没の危機にさらされるはずがない。まず、ツバルについて言えば、この島がサンゴ礁であるということに原因がある。サンゴ礁は石灰岩質であるため、そもそも水に溶けやすい。さらに、ツバル政府の環境大臣パアニ・ラウペパによれば、建築のために砂を採掘することが多くなり、そのため海水が水を通しやすいサンゴ礁の土壌を通って、一昔前には浸水しなかった地域にも浸入するようになったようである。さらに、ツバル政府環境担当のエリサラ・ピタは2001年11月24日のトロント・グローブ&メールのインタビューに対し、「ツバルは気候変動問題に利用されている。(中略) ツバルは沈んでいない」。ツバルが先進国による温暖化のせいで水没するという非科学的で煽動的な主張には、人為的温暖化論者も迷惑しているようである。

 また、ヴェネチアの水位上昇のうち、その半分近くは沿岸地域の柔らかな地盤に大量の建築物を建てたことによる地盤沈下によるものである。もちろん、海面は全く変動していないということはない。しかし、20世紀中の海面上昇はわずか17±5cmである。IPCCは、そのわずかな上昇率でも数世紀から数千年の間に4~6mの上昇をもたらすだろうと警告しているが、それだけの長い期間であれば十分に対応できるし、過去の気候変動パターンからするとその前に次の寒冷期が訪れる可能性すらある。

 では次に、温室効果ガス削減によるコストとリスクについて検証してみよう。これについては2006年にイギリスの経済学者ニコラス・スターンが結論を出し、温室効果ガス削減によるコストやリスクは温暖化によるリスクを大幅に下回るだろうと報告書を出した(スターン報告)。しかしこれは、性急な化石燃料の使用削減がもたらすリスクをあまりにも過小評価している。

 まず、現在の段階で化石燃料に匹敵する効率をもつエネルギー資源は、原子力エネルギー以外には存在しない。太陽光発電も風力発電も、とうてい現在のエネルギー需要を代替することはできない。もしこれらで現在のエネルギー需要を代替しようとすれば、あまりにも広大な土地が必要だ。恐らくこれによって、野生生物の生息地を奪ってしまうだろう。原子力エネルギーを積極的に利用するか、もしくはよほどのブレークスルーがない限り、エネルギー需要を化石燃料以外で満たすのは不可能だ。

 では、エネルギー需要そのものを削減したらどうなるか。エネルギー需要を削減するということは、経済活動全体の縮小を意味する。それによって起こる構造的な不況の影響は考慮されているだろうか。クリーン・エネルギー開発によって新たな産業が起こり、経済の発展につながるという意見もあるが、化石燃料と比較して経済的に全くペイしないような産業では帳尻が合わない。したがって政府の保護が必要となるが、そのような政府の保護によって確実に経済活動全体に負荷がかかるだろう。

 このように、温室効果ガス削減には多大なリスクが伴う。したがって、あまり性急な対応をすべきではない。温室効果ガス削減を正当化するためには、地球温暖化と温室効果ガスとの間の因果関係が明確であり、さらにその温暖化が破滅的な結果をもたらすことが示されなければならない。事を急いで温室効果ガス削減に踏み切った挙句、実は温暖化はCO2のせいではなかった、温暖化には何の危険もなかった、では済まないのである。

 現在、地球温暖化問題に関して最も影響力のある存在となっているのがIPCCであるが、その結論をそのまま受け入れることに対しては慎重にならざるを得ない。なぜなら、IPCCの1996年報告において決定的な密室での書き換えが判明したからだ。IPCC1996年報告は、1995年末に顧問科学者の査読を受け、承認された。だが、この報告書の第8章の主執筆者を務めたベン・サンターは、その顧問科学者による査読後に第8章の書き換えを行った。その内容は、「地球気候に対する人間の影響は明らかである」とする文章を付け加える一方で、「気候変動が人為的なものと断定する証拠は見つかっていない」とする記述を削除するものだった。ベン・サンターはアメリカのローレンス・リヴァモア国立研究所の科学者であるが、なぜこのような書き換えを行ったかはわからない。しかし、IPCC作業部会のジョン・ホートン議長は、1995年11月15日付けの手紙で、そのような改竄の要求を示唆する指示をアメリカ国務省から受け取っていた。この手紙の署名は、当時の国務次官補臨時代理デイ・オーリン・マウントだったが、当時の国際問題担当国務次官ティモシー・ワースは熱心な人為的温暖化説の支持者であり、アル・ゴアとも仲がよい。恐らくサンターによる報告書の書き換えは、ワースの指示によるものだったと考えられる。

 なぜこのようなことが起こるのだろうか。それには、地球温暖化問題が単なる科学的な論争を超えて、国際政治における駆け引きの道具として使われているということを理解する必要がある。冷戦終結によるイデオロギーを軸とした2極構造の崩壊によって、世界は再び各国がそれぞれの利益を追い求める時代に突入した。特に近年、資源獲得競争が激化していく中で、各国はいかに他国の資源消費を抑え、自国の取り分を確保するかに心血を注ぐようになった。そうなると、地球温暖化問題は他国に対して資源消費の抑制を要求する際の大義名分になるのである。

 実際に、各国はそれぞれ確固とした国家戦略を組んだ上で地球温暖化問題に取り組んでいる。京都議定書は、1990年を基準として各国が温室効果ガスの排出を何割削減すべきかを定めたものだが、ヨーロッパは、1990年を基準とすることで削減目標を比較的簡単に達成することができる。1990年といえば、イギリスは非効率的な石炭燃料から北海油田の石油燃料に転換する直前、ドイツでは非効率的な東側の工業を西側の水準に改良される前、といった具合だ。フランスも主要なエネルギー源が原子力であるため目標達成は難しくはない。こうしてヨーロッパは、他国に対してエネルギー消費削減を声高に要求することができる。

 アメリカは、クリントン政権時代には最も温暖化対策に熱心であったが、ブッシュ政権移行後にその態度を180度変えた。一時は大国の横暴とも言われた政策転換であったが、ブッシュの判断は全米科学アカデミーの提言を受けてのものだった。

 ロシアのプーチン大統領は、当初は京都議定書を批准しないと宣言していた。京都議定書の発効条件は、1990年時点の批准国の温室効果排出量合計が全体の55%に達することであった。そのためアメリカが批准しない以上はロシアが批准しなければ京都議定書は発効しない。そのため温暖化対策を積極的に訴えてきた諸国は色めき立った。ところが後に態度をひるがえし、2004年に批准に踏み切った。ロシアにとっても、旧ソ連時代の旧産業が一新される前の1990年が基準年というのは都合がよかった。プーチンが途中で態度をひるがえした背景には、1990年代の経済的混乱が収拾し経済成長への道筋がついたことのほかに、京都議定書の発効を可能にし、旧ソ連時代の旧産業を一新したことによって得られた排出権をヨーロッパに売ることによってヨーロッパに貸しをつくることができる、という事情がある。最終的なロシアの目標は、ヨーロッパに恩を売ることによって味方につけ、冷戦後のアメリカ一極集中への対抗軸をつくることだろう。

 オーストラリアも、2007年に左派のケビン・ラッドが政権を握るまでは京都議定書の批准を拒否していた。

 こうした中で、資源小国の日本は1973年の第一次オイルショックからすでに相当の省エネ化をすすめてきたにも関わらず、日本は6%という削減目標を何の計算もなしに受け入れてしまった。それどころか、実現が可能かどうかや経済に与える影響を綿密にシミュレーションもせずに、自らすすんで2050年までに温暖化ガス排出を60~80%削減するという宣言をしてしまった。そもそも日本が温暖化対策に力を入れている理由も、この分野においてリーダーシップをとり、国際社会における地位向上を目指すという極めて政治的なものだ。それも、実行可能かどうか綿密な戦略を立てていないという点で、実に幼稚な政策判断である。地球温暖化をめぐる科学は、政治的都合によってひどく歪められてしまっている。

2008年6月16日月曜日

アメリカ大統領選 2 - 40年前の悪夢の再来はあるか

 2008年5月の時点で民主党大統領候補指名獲得レースにおいてすでに敗色が濃厚となっていたヒラリー・クリントン上院議員は5月23日、致命的なミスを犯した。選挙戦を続ける理由を訊かれた際、彼女はこう答えたという。

 「ボビー・ケネディが暗殺されたもの6月だった。」

 ボビー・ケネディとは、今からちょうど40年前の大統領選で民主党から出馬し、民主党候補指名獲得を目前にして暗殺されたロバート・ケネディ元司法長官(J.F.ケネディの実弟)のことである。 確かに今回の選挙の状況は40年前の状況と非常によく似ている。 1968年、アメリカはベトナム戦争の泥沼にはまり込み、アメリカに対する世界の信用は失墜、戦費拡大に伴うドルの下落と不景気の拡大によって国内は分裂状態に陥った。べトナム反戦運動と公民権運動が結びついた結果、国内では毎日のように暴動が起こっていた。

 そのとき、国内の融和とベトナムからの即時撤退を訴えて大統領選に名乗りを上げたのが、弱冠43歳のボビーだった。上院議員としての経歴こそ4年にも満たなかったが、彼にはケネディ政権の司法長官時代に人種問題の解決のために連邦政府のあらゆる権限を行使したという実績があったため、広い人種層からの支持があった。彼は最大の州であるカリフォルニアでの予備選に勝利し、民主党候補指名獲得をほぼ確実にした直後の6月5日に暗殺された。

 このような状況が、そのまま今回の選挙にバラク・オバマが出てきた状況とあてはまるのは明らかだろう。 今、アメリカはイラク戦争の行き詰まりによりアメリカの国際的地位は低下しつつあり、国内は分裂状態に近い。そのような状況の中で、イラクからの即時撤退と国内の融和を訴えて出てきたのが、弱冠46歳のバラク・オバマ。しかも彼は初の黒人候補という人種的ハンディキャップを負っている。 そもそも、今回の選挙でケネディ家のメンバーやケネディ政権の中枢で働いた者がそろってオバマを支持しているのも、彼にケネディの再来を思わす素質があるからなのだ。

 では、オバマ暗殺が起こる可能性はどれだけあるのだろうか。結論から言うと、オバマ暗殺が起こる可能性は限りなく低いといえる。確かに状況は40年前に非常に似ているが、それでもこの40年間でアメリカ国内は大きく変わった。ケネディ兄弟の暗殺、そして人種問題は、今やアメリカ現代史の暗部として人々に記憶されている。ほとんどのアメリカ国民は、このような出来事は決して繰り返してはならない歴史の汚点だと思っている。そしてそれは一般市民だけでなく、政治家や政府関係者の間でも同じ思いであるはずだ。もし仮に再び同じようなことが起これば、アメリカに対する世界の信用は間違いなく完全に失墜する。国内の分裂も決定的なものになるだろう。40年前の悪夢が再びよみがえってしまうのだ。そのようなことは、一般国民はもちろん、政治家や政府関係者も決して望んではいない。

 もちろん、狂信者はどこの国にもいるもので、人種的な問題からオバマの暗殺を狙っている集団は今でもアメリカ国内にいるだろう。しかし、今回はアメリカという国の意志が、それを決して許さないはずだ。

アメリカ大統領選 1 - なぜアメリカはヒラリー・クリントンを拒否したか

 恐らく、このような結果になることは今年に入った時点で多くの人が予想していたのではないだろうか。2008年6月3日、バラク・オバマ上院議員が民主党大統領候補として早くから取りざたされてきたヒラリー・クリントン上院議員を制して民主党大統領候補者氏名に必要な代議員数を獲得し、アメリカ大統領選民主党候補の指名獲得を確実にした。 このような結果になった理由は、今アメリカがどのような人物をリーダーとして必要としているかを考えればすぐにわかる。

 ジョージ・W・ブッシュ政権が国論を二分して開始したイラク戦争は、ブッシュの当初の目算からは大きく外れ5年以上に長引くことになった。その結果現在のアメリカ国内では共和党支持者と民主党支持者の間で修復困難な亀裂が生じてしまっている。共和党と民主党がいかに内政問題で対立しようとも、外交・安全保障問題に関してだけは両党が超党派的に協力して率直に議論する、というのが本来のアメリカ政治の姿であった。ところが、ブッシュ政権が国論を二分して強引にイラク戦争を開始し、さらにそれが行き詰まりを見せたことによって、この伝統的なスタイルが崩れてしまった。今や共和党支持者と民主党支持者の間には、感情的としか言いようのない対立が生じてしまっている。胸襟を開いた率直な議論こそが民主主義のエッセンスであることを考えると、互いの意見に耳を傾けようともしない現在の状況は、アメリカ政治の深刻な危機である。

 このようなときに必要とされるのは、アメリカをもう一度ひとつにまとめ、本来の姿に戻すことができる人物なのだ。このような素質を、大統領候補に指名されたジョン・マケイン上院議員、バラク・オバマ上院議員は備えている。マケイン氏は共和党内でも一匹狼的な姿勢で知られ、共和党政権であるブッシュ政権に対する最も誠実かつ辛辣な批判者であり、また自分が正しいと思うことのためならば民主党議員と共同で法案を提出することもいとわない。

 また、オバマ氏は大統領予備選挙において、近年の大統領選挙で毎回効果的に多用され、およそ世界のリーダーを選ぶにふさわしくない雰囲気にしてしまっているネガティブ・キャンペーンを一切使わない姿勢を貫いた。彼の選挙チームの一員がクリントン候補を中傷するキャンペーンを張ったところ、彼がその部下を烈火のごとく叱り飛ばしたのは有名だ。また、2004年の大統領選挙では、ジョン・ケリー上院議員を大統領候補に指名した民主党大会において、「リベラルのアメリカも保守のアメリカもなく、ただアメリカ合衆国があるだけだ。ブラックのアメリカもホワイトのアメリカもラティーノのアメリカもアジア人のアメリカもなく、ただ“アメリカ合衆国”があるだけだ。」との基調演説を行い、多くのアメリカ人の共感を得た。ともに、現在のアメリカに必要とされる人物であることがわかるだろう。ロサンジェルス・タイムズが2008年2月1日の時点で共和党候補としてマケイン氏、民主党候補としてオバマ氏の支持を表明したのも、なるほどうなずけるのである。

 これに対して、当初は泡沫候補扱いされながらもまさかの善戦を遂げ、「ハッカビー旋風」などと持ち上げられたマイク・ハッカビー前アーカンソー州知事、すでに2006年の時点から有力候補扱いされてきたヒラリー・クリントンはどうだろうか。ハッカビー候補が善戦を遂げた理由は、妊娠中絶、同性結婚に断固反対し、またダーウィンの進化論をも否定する徹底的なキリスト教保守派的な姿勢が共和党最保守派の支持を得ただけのことだ。また、クリントン候補は、自分と異なる意見の持ち主を歯に衣着せぬ言い方で徹底的に相手をこきおろし、自分が正しいと思うことを強引に進めていくタイプである。そのため、特定の範囲からは熱烈に支持される一方で、「ヒラリーだけは絶対に嫌いだ」という人も大勢おり、ある意味でブッシュと大差ない。要するに二人とも、アメリカをひとつにまとめるどころか現在の対立をいっそう拡大させかねない人物であることがよくわかる。少なくとも、現在のアメリカが必要としている人物ではない。

 ちなみに、私が民主党候補はヒラリー・クリントンではなくバラク・オバマになるだろうと確信したのは、Partner Ship for a Secure America (PSA) の顧問を務めるセオドア・C・ソレンセンが、2007年7月の時点でバラク・オバマ支持を表明したからだ。PSAはアメリカの外交・安全保障に関する超党派組織で、イラク戦争以来失われつつあった、民主党と共和党の連携を取り戻すために2005年に設立された。なお、共同設立者のうちの一方は、イラク戦争に関する超党派評価組織、イラク研究グループ(Iraq Study Group)の共同議長を務めたリー・ハミルトン元下院議員である。PSAのような超党派連携を目指す組織のメンバーが支持したということは、バラク・オバマならアメリカを再びひとつにまとめられる人物であると、外交・安全保障の専門家から期待されていることを意味する。

 また、セオドア・ソレンセンはジョン・F・ケネディの上院議員時代からの側近中の側近であり、彼の実弟ロバート・F・ケネディの大統領予備選挙の選挙参謀として精力的に働いた人物でもある。今のアメリカはベトナム戦争以来の国内分裂の危機に瀕しているとさえいわれるが、今のアメリカには見習うべき過去がある。ちょうど今から40年前の1968年、ベトナム戦争の行き詰まりによって分裂状態に陥ったアメリカを再びひとつにまとめることを掲げて立候補したロバート・ケネディが国民の圧倒的な支持を得た。

 そんなロバート・ケネディの勇気を示すエピソードがある。1968年4月、公民権運動の指導者マーティン・ルーサー・キング牧師が暗殺された日のことだ。彼はインディアナ州インディアナポリスの黒人街で大統領予備選挙の遊説を行うことになっていた。ところが、キング牧師が暗殺されたことで、黒人たちは白人に対する憎しみに煮えたぎっていた。警官や支持者はケネディに演説を中止するよう勧告したが彼はそれを無視し、こう訴えた。
 「今アメリカに必要なのは分裂ではない。今アメリカに必要なのは憎しみではない。今アメリカに必要なのは暴力でも無法状態でもない。今必要なのは愛であり、叡智であり、互いに対する思いやりの気持ちであり、黒人であろうと白人であろうと未だにこの国で苦しんでいる人々に対する正義の感情なのだ。
 だから、私はあなた方にお願いする。今夜はこのまま家に帰り、そしてキング牧師の家族のために祈りをささげてほしい。だがそれ以上に、我々みなが愛する祖国のために祈りをささげてほしい。互いに対する理解と融和のための祈りを…」
 この夜、全米で黒人による暴動の嵐が巻き起こる中、インディアナポリスだけは平静を保った。
 
 彼は民主党候補指名獲得を目前にして兄と同じく凶弾に倒れることになったのだが、もし暗殺されなければ本選挙でも圧倒的勝利は確実だろうといわれていた。バラク・オバマ支持を表明したPSAのセオドア・ソレンセンはそのようなロバート・ケネディを直近で見ていた人物だ。

 ソレンセンだけはない。特に注目に値したのはケネディ家のオバマ支持への動きだった。筆頭はケネディ兄弟の末弟で民主党リベラル派の重鎮エドワード・ケネディ上院議員、そしてケネディの実の娘であるキャロライン・ケネディ、カリフォルニア州知事アーノルド・シュワルツェネッガーの妻であるマリア・シュライバー(ケネディ兄弟の姪にあたる)らである。ケネディ兄弟の精神をよく知る彼らがバラク・オバマ支持へ動いたのは、彼にケネディ兄弟に似た資質を感じたからにほかならない。

 なお、ケネディ家のオバマ支持への動きの直接のきっかけとなったのは、予備選挙中にヒラリー・クリントンが夫のビル・クリントン元大統領とともにバラク・オバマに対する強烈な中傷・批判を行ったことだった。今回の結果は、それが裏目に出たといえるだろう。