2013年9月11日水曜日

アメリカの軍事介入の歴史

アメリカによるシリアへの軍事介入の成否を考えるための重要な材料として、第二次大戦後のアメリカの軍事介入の歴史を簡単にまとめてみた。

・朝鮮戦争(1950-1953)
北朝鮮が突如北緯38度線の国境線を越えて韓国に侵攻、不意を付かれた韓国軍は敗退を続け、半島の南東部まで追い詰められる。これを受けてアメリカは国連安保理でソ連代表が欠席している隙をついて北朝鮮武力制裁決議を可決させ、国連軍を結成する。国連軍の参戦を受けて、補給線が伸びきっていた北朝鮮軍は一気に押し返される。ここで朝鮮半島統一の好機とみた韓国は、逆に北緯38度線を越境して北進を開始、北朝鮮は朝鮮半島最北部まで追い詰められ、半島統一間近となる。ところがこれが中華人民共和国の介入を招き、朝鮮半島は米中直接対決の場となり、泥沼に陥る。最終的に戦線は38度線付近で膠着し、あくまでも朝鮮半島の統一を目指す韓国の頭越しに北朝鮮・中国との間で休戦協定を結び、休戦に至る。

・ベトナム戦争(1960-1975, 米直接介入期間1964-1973)
北ベトナムにバックアップされた南ベトナム民族解放戦線によるゲリラ攻撃に悩まされていた南ベトナムを支援するため、アメリカは長年軍事顧問団を派遣し南ベトナム軍を訓練していたが、南ベトナムの混乱は収まらず、1964年のトンキン湾事件を足がかりについに直接軍事介入を開始。朝鮮戦争の二の舞いを恐れたためか、アメリカは北ベトナムを叩き潰すべき対象とは見なさず、あくまでも交渉相手として扱った。そのため、アメリカは北ベトナムに対する攻撃は限定的なものとし、地上軍の派遣も南ベトナム領内に留め(解放戦線のゲリラ掃討のため)、北ベトナムを交渉の場に引きずり出し、南ベトナムに対する攻撃をやめさせようとした。しかし、南北の分断を固定化させようとするアメリカの目論見に、統一を目指す北ベトナムが同意するはずがなかった(そもそも1954年のジュネーブ協定でベトナムは統一されるはずだったのに、それを無視して居直ったのが南ベトナムだった)。アメリカの中途半端な態度は結局戦争の泥沼化を招く。最終的には1973年にアメリカは撤退、アメリカの後ろ盾を失った南ベトナムは1975年に敗戦し崩壊する。

・湾岸戦争(1991)
1990年にイラク軍がクウェートを占領、イラク領の一部として併合する。国連安保理はイラクに対してクウェートからの即時撤退を求める決議を可決、これに合わせてアメリカは多国籍軍を結成、イラクが安保理決議を履行する意思がないことを確認すると、国連憲章第42条に基づきクウェートを占領するイラクに対する攻撃を開始。数々のハイテク兵器を投入した多国籍軍は完全に制空権を確保、圧倒的な攻撃力でイラク軍をほぼ無力化した。また、目的はあくまでもクウェートのイラク軍からの解放に限定したため、このクウェートを解放し目的を達成したのちはただちに戦闘行動を停止し、イラクのフセイン政権の打倒は目指さなかった。

・アフガニスタン侵攻(2001-)
9.11テロの首謀者であるアルカイダのオサマ・ビンラディンを匿うアフガニスタンのタリバン政権に対して、アメリカはビンラディンの引き渡しを求めるが拒否される。これを受けて有志連合を結成してアフガニスタンへの侵攻を開始。地上戦はアフガニスタン国内の反タリバン勢力である北部同盟が行い、有志連合軍の介入は空からの北部同盟軍の援助に留めた。北部同盟軍は最終的にタリバン政権を打倒し、その後はハミド・カルザイがアフガニスタンの統治を担い、NATO軍により構成される国際治安支援部隊(ISAF)が国連の承認のもとアフガニスタンの治安活動を担う。しかし2006年ごろからアフガン国内でタリバンが勢力を再拡大、その後の治安は悪化の一途をたどる。ISAFは、2014年末までに撤退予定。

・イラク戦争(2003-2011)
イラクのフセイン政権の大量破壊兵器保有疑惑およびアルカイダとの関係疑惑により、アメリカは有志連合を結成してイラクを攻撃、フセイン政権を崩壊させた。しかし、その後の占領政策でつまずき、イラク国内の治安は急速に悪化。2007年より占領政策を見直し、兵力を大幅に増派。その後徐々に治安は回復し、2011年に全ての権限をイラク政府に移管し、米軍はイラクより撤退。

・リビア内戦(2011)
アラブの春の流れを受けて、リビアでカダフィ政権に対する大規模な反政府デモが発生。これに対して政府軍が徹底的な武力弾圧を加えたため、政権側から反政府勢力側への離反者が続出、反政府軍とカダフィ政権との間で内戦状態となる。はじめ介入に消極的だったアメリカは、フランスの積極的な姿勢やアラブ連盟からの介入要請を受けて、国連安保理でリビア領内の飛行禁止区域設定と空爆の承認決議を得る。この決議に基づき米英仏を中心とするNATO軍が介入を開始、介入はあくまでも空からの反政府軍への支援に止め、地上戦は反政府軍が行った。最終的に反政府軍はカダフィ政権の打倒に成功、そのまま戦後の統治を担った。


こうしてみると、アメリカの軍事介入が成功するためには

1. 介入の目的が明確に限定・定義されていること
2. 国連を始めとした国際社会からの支持を受けていること
3. 目的を達成するために最大限の力を投入することができること

の3つの条件が満たされている必要があることがわかる。今回のシリアへの軍事介入の流れを見る限り、これらの条件はまだ一つとして満たされていないように見える。これらの条件を満たさない限り、今回のシリアへの軍事介入が良い結果をもたらすことはないだろう。

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