2015年1月27日火曜日

ISIL(いわゆる「イスラーム国」)による日本人人質殺害予告事件にまつわる日本国内の議論について



ISIL(いわゆる「イスラーム国」)による日本人人質殺害予告事件については、人の命に関わるデリケートな問題なだけに言いたいことは控えていたが、最低限押さえておきたいポイントだけ書いておく。


1. 「自己責任論」について

基本的に、政府はどんな状況でも自国民を助けるために全力を尽くすべきだ。国家の第一の役割は自国民の生命と財産を保護することなのだから、これは当然のことである。「危険地帯に自ら行くほうが悪い」などという人がいるが、こういった危険地帯に自ら行く人がいなければ、我々は現地で何が起きているのかを把握することすらできない。少なくとも、私はこうした危険地帯で何が起きているのかを伝えようと努力してる方々には最大限の敬意を表する。


2. テロリストの要求を呑むべきではない

政府は人質の救出のために全力を尽くすべきだが、その方法がテロリストの要求を呑む形になってはならない。理由は2つある。まずひとつ。人質の解放のためにテロリストの要求を受け入れてしまえば、日本政府はテロ行為で脅せばいくらでも外部からコントロールできるというメッセージを発してしまうことになる。つまり、日本という国にはテロが極めて効果的であるという印象を与えてしまうのだ。そうなれば、日本はテロリストにとっての格好のターゲットとなり、日本に対するさらなるテロを呼びこむことになる。つまり、将来あらたなテロの犠牲者が出る危険性を増大させる。そしてふたつめ。テロリストの要求を受け入れるということは、テロリストに何らかの形で便宜を図るということにつながる。これは、たとえ意図せざるものだとしても結果的にはテロリストに対してさらなる力を与えることになり、特に現在テロリストの脅威に直面している国からみたら背信行為に近い。つまり、日本に対する国際社会からの信頼が損なわれる。


3. 「イスラーム国」に対して中立的立場をとるという選択肢は日本にとってありえない

「イスラーム国」の問題は、単なる国家間の対立や、一国内の内戦などといった枠組みをはるかに超えた次元にある。彼らが「イスラーム国」が支配下におくべきと主張している地域は、中部アフリカから西アフリカ全域、北アフリカ、さらにはヨーロッパのイベリア半島やバルカン半島、そして西アジアから中央アジアにまで至る極めて広大な領域である。この領域に含まれる国の数は、優に50を超える。これだけの地域を「イスラーム国」は手に入れるべきだと考え、現にそのために戦闘行為を行っているのである。つまり「イスラーム国」の存在は、既存の国際社会の枠組みそのものに対する挑戦である。これを傍観するという選択肢は、国際社会の中で責任ある立場にある国にとってはありえない。まあ、日本国家の役割はあくまでも日本国民の保護なのだから、日本人が犠牲にならないのであれば、下手に敵対してリスクを負うよりも、関わらないほうがいいという考え方もあるだろう。だが、仮にそうだとしても、日本が「イスラーム国」を放置するという態度に出たら、国際社会からの信頼を失って孤立することになり、そのことがいずれ日本に跳ね返ってくる可能性は極めて高い。日本がこれまでどおり平和国家であろうとするのであれば、国際社会から孤立するというのは極めて危険である。ただし、「イスラーム国」と対決するということは、決してイスラーム諸国やイスラーム教徒と敵対するということではない。「イスラーム国」の脅威を最も間近に感じているのは、彼らイスラーム諸国やイスラーム教徒である。


結論を言うと、日本政府は人質の救出のために全力を尽くさなければならない。これを、ISIL側の要求を受け入れることなく実行するというのは極めて難易度の高い課題であるが、だからこそ今は国民は主義主張を超えて対応すべきだ。


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